世界はそれをキャベツと呼ぶんだぜ

休日なれど、学生を引率して、地元の造り酒屋見学。
一通り酒造りの工程を説明していただいたあと、試飲会。
学生などそっちのけでぐびぐび飲みへろへろになる。


解散後、同僚とドライブがてらロケハン。
素晴らしい風景に心躍る。
喫茶店で猫とじゃれてご満悦。
チョコというその猫は、少し太めの雌で、膝の上に抱き上げると、そのままうずくまり、ごろごろいうのであった。


酒工場では、酒造りの説明などより、道具のカタチや、床に引いてある赤い線とタンクの丸い口や大小のホースが描く曲線の按配に興味をそそられるし、女性の学生やふところに抱いた猫を見る視線にしたって、なにかしら今読んでいるロリータに影響され始めているようだ。世界がナボコフ色に染まってき始めたのだろうか?


そうそう、ロリータといえば、今朝、寝床の中で読んでいると、靴下の片方をまた発見した。これで三足目である。


昨夜、ロリータ新訳の訳者である若島正乱視読者の帰還を読み返し、改めて驚嘆した。

Sebastian Knight was born on the thirty-first of December,1899,in the former capital of my coutry. An old Russian lady who has for some obscure reason begged me not to divulge her name,happened to show me in Paris the diary she had kept in the past.
(・・・・)
Her name was and is Olga Olegovna Orlova―an egg-like alliteration which it would have been a pity to withhold.


セバスチャン・ナイトは、1899年12月31日に、私の祖国のかつての首都で生まれた。判然としない理由から名前を公表しないでくれと頼んでいた、ロシア生まれの年配の貴婦人が、昔つけていた日記をパリでたまたま見せてくれたことがある。
(中略)
名前を明かすと、昔も今もオリガ・オレゴヴナ・オリローヴァという―この卵形の頭韻は隠しておくには勿体ない。

ナボコフの「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」の冒頭の文章。翻訳は若島正。彼が解説するように、この部分は、さして印象に残るような書き出しではないし、唯一「卵形の頭韻」うんぬんの箇所ににやりとするくらいだが、この「卵形の頭韻」は貴婦人の名前の三つの"O"を直接に指していると同時に、冒頭の"1899年"という数字に含まれている三つの"0"のカタチにも符合しており、なおかつこの年は、作者であるナボコフの生年であるという。


ロリータも、こんな調子で書かれているのに違いないのだ。もちろん翻訳を読むものは訳者の「読み」に全面的に拠っているわけだが、そうして優れた訳者の「読み」の結果としての翻訳をつぶさに読んでいるつもりだが、さてどこまでナボコフの翻訳された「仕掛」を読み解けることができるか、全く持って油断がならない。
乱視読者の帰還