昨年と同様、年越しは寺のカネを突きに行く。
昨年カネを突いた寺の住職はあったかそうなスタジアムジャンパーを着ていたが、今年の寺は、若手の住職とその補佐(?)が、ユニフォームで一突き一突き時計を図りながら、どうぞ、はい、手を合わせましょう、となんだか有難かった。






それにしても、若々しく立派な「あ」と「うん」である。
彼らは、一昨年くらいに新調された「あ」と「うん」。
この立派な赤が、年月とともに寂れて緋色になっていき、精悍さと貫禄を増すのであろう。














廃校となった小学校のグラウンドを横切って、帰宅。
消火栓の赤いランプは生きていて、遠めに赤いドレスの女が窓越しに立っているように見える。
実は昨年観た映画のなかで、ベストは黒沢清の「叫」だったのだが、DVDでのみの鑑賞だったので、挙げなかったのだが、おふくろを含め家族四人のなかで、この映画は、特別な位置をしめることになったように思う。「赤いドレスの女」は、家族間で見事に符牒になっているのだ。



レンタルしていたDVDを親父一人で観ようとすると、自分たちも観るといって聞かないので、仕方なく男三人で、「パフューム」を最初の30分くらいだけ観る。おいおい、こんなもん新年早々、小学5年生と4年生にみせていいのかよ。と思う程度のグロ描写。最初の殺人が行われたところで、オトナの判断で切り上げ。



息子たちの寝息を確認したところで、親父は一人、バンヴィル「海に帰る日」をじっと読み、なんとか日の出前に読了。記憶を巡る小説だけに、時制が「現在」「大過去」「小過去」ところころと、時には改行なしで入れ替わるが、あくまでリーダブルである。こういうのを「愉悦」というのではないか。たゆたう波に身を任せればいいのだが、読了したとたん、あらためて今度は細部を舐めまわそうと思う。




明くる朝、目を覚まし雑煮を食って、白浜海水浴場でキャッチボールでもと、出かけようとすると、初老の男性と中学生くらいの男子が玄関先に立っている。信念のお祝いに「息子」と「奉仕」をしているのだそうだ。聖書の一節を読んでくれるという。黒いかばんを下げ、黒いカバーをかけた頁を金で飾った聖書と思しき書物を手に持っている。
職場の元旦礼拝に出かけなかった「バチ」か。俺の職場は、ミッションスクールだが、毎週水曜日の礼拝には、決して出席しないことにしているが、元旦礼拝だけはこの数年間、出席することにしていて、新年の始まりに牧師たちの吐く言葉の下らなさに思いを新たにする習慣にしていたのだが、今年はそれも止めた。なんだか、息子たちに恥ずかしいではないか。
自称「親子」の「神の奴隷」が玄関に入ろうとするので、掌を垂直に立て、結構です、とめったに使わない事務的な声音で追い返す。



気を取り直して、白浜海水浴場へ。
大荒れである。
息子たちは、大喜びで走り寄り、お約束どおり、ビショヌレ。
バカヤロー!と怒りつつも、大波へ立ち向かう頼もしい姿にほくそ笑むバカ親父である。




















八雲神社へ初詣。
コンパクトな神社。
境内へと続く太鼓橋のたもとに躍動感あふれるエビスさんがいた。

おみくじは、もちろん「大吉」・・・。













そのまま、早崎へまわり、ノタウチマワル奇木「アコウの木」に改めて感嘆しつつ、瀬詰灯台へ。
東映のタイトルロール状態である。
波頭が砕け散り、灯台を波が洗っている。
桟橋を灯台へと突っ走る息子たち。
あんまりやばいので、そこでとまれー!と親父は絶叫。
立ちションしろー!と叫ぶおふくろ。


















3時過ぎに帰宅し、ビールをぐびぐび飲みつつ、昨夜途中でやめた「パフューム」を男三人で見始めるが親父は途中うたた寝。連続殺人の途中から目を覚まし、オッパイ坊主というモチーフには惹かれるも、所詮「バカでも分かる映画」であった。いちいち説明されなくても分かるだろう、という程度の映画であった。



累々たるおっぱいを目の当たりにし、次男は、眠れない、というのであった。仕方なく、階下のコタツに入れ、お袋と三人で、新春名作邦画劇場を開催。今年は成瀬巳喜男の「稲妻 [DVD]」と川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]」の二本立て。高峰秀子はもちろんだが、新珠三千代が素晴らしい。着物を着て下駄のままあんなにも早く疾走できるなんて!
稲妻 [DVD] 洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]