昨夜のことだ。
 もう1時過ぎだったろうか。親父が背広姿で、僕の部屋に入ってきた。弱々しい顔をして、困ったというより、自信がないといったふうで、今から口之津へ行かなければならないと言う。警備会社をやっている友人が、口之津の叔母になにやら相談事があるということで、親父の口添いで明日、叔母に会いに行く約束をしていたらしいのだが、親父は叔母に連絡をとるのを忘れていたらしく、それで、こんな夜更けだけれど、なんとしても事前に口之津へ行って、友人との面会を取り付けておかなければならないというのだ。親父のそんな弱々しい顔を見たのは初めてで、ベッドに腰かけてうつむいたまま、ぽつりぽつりと話す姿のその背中がこころなしか丸くなっている。こんな夜更けに親父にクルマの運転をさせるわけにはいかない。僕は、しようがないな、口之津まで深夜のドライブか、と覚悟をきめつつあった。が、そのとき、ふと気づいたのだった。親父はもう2年前に亡くなったのを。
 夢から覚めて、僕は苦笑いしながら、まったくしようがない親父だ、と思い、けれど、あんな弱々しい顔は見たことがなかった、と改めて思い、ベッドから起き上がり、親父の写真を見に行って、ついでに線香を2本あげた。

 たまに、死んだ親父が夢に出てくる。別になんということもない会話をした後、いつも決まって、そういえば親父は死んでしまったのだから、これは夢なのだ、と気づくところで目を覚ます。目を覚ますのは、やはり、いつも決まって朝ではなく、夜更けの暗がりのなかでのことだ。僕は夢に親父が出てくるのを嬉しく思う。それは、親父が生きていた頃には感じたことのない愉快さだ。

 部屋に戻ると、窓が空いていて、春の夜の冷気が部屋のなかへひろがっていた。満月の光を浴びて寝よう、と枕元の窓を開けたのを思い出した。満月を見るときまって君の名をつぶやく。